沿革

沿革

JAの医療事業は、明治33年に制定された産業組合法のもと、疲弊する農村を守るため、無医村地区の解消と低廉な医療供給を目的とし、大正8年11月に島根県鹿足郡青原村の青原村信用購買販売生産組合により設立された「青原組合医院」が最初とされています。その後、この島根県で起きた産業組合による医療事業の創始は、やがて岡山県そして青森県へと全国的に広がりをみせました。戦時中(昭和18年)は農業団体の統合整備により農業会に改組、昭和23年に農業会が解散し、農協法のもとで厚生連がこれを継承しました。
富山県においては、昭和初期、金融恐慌に次いで世界的経済恐慌等一連の不況下にあり農村恐慌もいよいよ厳しさを増し、農山村民の生活も窮乏の一途を辿っていました。この窮状を打開し「農山村民の生活と健康を守る」ため、全国で初めて「区域を全県一区域とする一連合会組織による医療機関」として、昭和11年10月、富山県産業組合病院(現・厚生連高岡病院)が開設されました。さらに、昭和20年7月に第二病院(現・厚生連滑川病院)が開設され現在に至っています。
昭和11年10月 富山県産業組合第一病院(現・厚生連高岡病院)開設
昭和18年12月 農業団体の統合整備により富山県農業会が発足
名称を、富山県農業会第一病院に改称
昭和19年4月 看護婦養成所(現・厚生連高岡看護専門学校)開設
昭和20年7月 富山県農業会第二病院(現・厚生連滑川病院)開設
昭和23年8月 富山県文化厚生農業協同組合連合会が発足
名称を、文厚連高岡病院、文厚連滑川病院に改称
昭和24年4月 協同組合高岡病院、協同組合滑川病院に改称
昭和26年4月 富山県厚生農業協同組合連合会に改称
名称を、農協高岡病院、農協滑川病院に改称
昭和39年5月
8月
救急告示病院指定(高岡)
救急告示病院指定(滑川)
昭和50年4月 富山県厚生農業協同組合連合会高岡病院に改称
富山県厚生農業協同組合連合会滑川病院に改称
(略称 厚生連高岡病院、厚生連滑川病院とする)
昭和54年7月 滑川農村(総合)検診センター開設
昭和60年3月 臨床研修病院指定(高岡)
平成2年4月 高岡農村(総合)検診センター開設
平成9年4月 救命救急センター指定(高岡)
地域周産期母子医療センター認定(高岡)
平成11年7月 訪問看護ステーション(高岡)開設
平成17年4月 DMAT病院指定(高岡)
平成17年11月 病院機能評価バージョン4.0認定(高岡)
平成19年1月 地域がん診療連携拠点病院指定(高岡)
平成19年4月 総合的がん診療センター開設(高岡)
平成22年11月 病院機能評価バージョン6.0認定(高岡)